元年の幕が閉じる前に

あれだけ世間が騒いだ令和元年も、残り2ヶ月で幕を閉じる。

 

私は令和になった瞬間は、親友であるTと渋谷で過ごしていた。

 

冷たい雨が降る中、若者達のカウントダウンと強い熱気に包まれながら私の生まれた時代が終わった。カウントダウンからしばらく人混みの渦で身動きが取れず、秩序のない渋谷を揉みくちゃになりながら体感した。

そして、Tと解散した後1人になった私は、「今を生きる」ということを改めて意識し、虚しくも新鮮で、複雑な気持ちであった。

 

季節が変わると同時に時代は変わった。

 

それから5日後、私はこれもまた大切な親友のRと再び渋谷を訪れた。

 

そして私達はそこで某大手予備校の教育カリキュラムに携わる人間と、その同級生らに出会った。

 

私達は彼等と会話をするうちに幾つかの議論を交わした。

その中でも色濃く私の記憶に残っているモノがある。

 

それは

「ビジネス的な生き方とアート的(芸術的)な生き方」

についてだ。

 

当初の私も深く考えていたのだろうが、半年経った私を「待て」と言わんばかりに食い止めて来た。

私は、少なくとも私の中ではあの日から明らかに成長していると思っている。

 

あれから8月にかけては大きな成長を遂げたと感じるが、8月以降の成長は、それまでの成長の延長線上な気がしてならない。

 

というのも、私は6月の末、とある作品に出会った。

それは、坂口安吾の「桜の森の満開の下」である。

私は、あの作品を初めて読了した時のことをよく覚えている。

当時の私の心には到底抱えきれないほど多くのものを感じ取った。

 

心から感情が溢れ出し、外部に感じたものを言葉にしようとしたのだが、伝わるはずもないので余計に私の負担が増えた。

私はとにかく足掻き続きた。

 

人は、心のキャパシティに収まらない程の感情を感じると、感情を表に出す能力より先に感情を感じる能力が成長してしまい、その2つの能力のギャップで孤独感や所謂”病み期”が訪れるのだろう。

 

その頃の私の足掻き、答えのような「何か」に必死で近付こうとしていた記録は、私の過去の作品「私の決意」や「前提論文」を見るとわかるだろう。

 

しばらくして7月末の8月に変わる頃、私は大きな「何か」に気づき、生活を一転させた。

私はよく覚えていないのだが、確かにあの時私は変わった。

 

その頃の私の心をまとめるために執筆したのがあの「青春移植」であった。

「青春移植」完成と同時期の8月下旬になると私は、夏目漱石の「こころ」から重要な教えを得ていた。

 

その教えからまた1つ大きな「何か」を発見し、今ではその「何か」が無いまま生きていた頃が滑稽に見えるほどである。

今の私が冷静に分析すると「アート的な生き方」において今までかかっていた霧の量が明確に減ったという実感が衝撃的な伝わり方をしていたのであろう。

 

それまでの生き方を分析すると恐らく「アート的な生き方」であったと思う。

けれども、7月末から8月にかけての気づきが決定的になった時、私は自分の成長の効率化、時間の使い方など様々なことを考え直した。

 

なぜ決定的になったかというと、10月にとてもすばらしい出会いをしたのである。

私がこれまで音楽や文学から得ていたような衝撃を1人の目の前の人間から受けるということは想像もしていなかった。

 

その人は経営学などの知識に精通している。

 

私は、その人の背中から、価値の提供と対価の支払い

例えば楽しいと思うのであれば価値を提供されているし、誰かを楽しませているということは私はその人に対価を支払っているということになる。

そして対価の支払い、つまりは出費を抑えながら成長して価値を頂戴するという斬新な考え方をその人を見て学んだ。

 

そしてこんな形の生活をしていたのであれば、当然「ビジネス的な生き方」になる。

悪いこととは言わないが、私の心のどこかで目指していたものは「アート的な生き方」なのである。

 

よくいる意識高い系のようにも聞こえるが、時間という財産を大事に使うようになった。

私は日本という社会に属している、この社会は、(少し過度な表現になるかもしれませんが)学齢期を過ぎた場合18時間を捧げるということが義務となっている。

働かない私たちのような学生は勉強しなくてはならない。

 

私の今の高校生活は、日本社会における延命処置とも受け取れる。

大学も同様だ。

 

話を戻すと、兎に角私は所属する社会に私の財産である時間を捧げなければならない。

さらに、生きるために食事や睡眠といった生命活動にも捧げることになる。

 

そこに余った時間が、「私」を確立させることができるのである。

 

私は、人目を気にする方であった。

しかし、先ほどから述べている「日本社会」も、あくまで定義であり、実際に存在するかどうかは確かめようがない。

 

人目を気にすると同じく、「社会はこんな人間を求めている」などと謳われるこの「社会」とはなんなのだろう

 

社会や、他人というものは、どうやってもそれぞれが自分の中だけで作られたもので、あなたの思う社会の悪は、私の中では社会の正義なのかもしれない。

 

社会や他人は、各々が全人類の共通認識と勘違いしがちだが、それらは自分の中だけで作られているもので、他人と共有なんてできないのだ。

 

だが、定義された社会は、確かにあるので「郷に入ったら郷に従え」といった言葉もあるように、その時間は日本人として求められているのを生きるべきだが、余った時間は自分らしく、自分の中の社会が自分に対して求めている人物になるために努力をするべきだと思う。

私はこれから余った時間に「アート的な生き方」をできたらいいなと思っている。

 

このように一度は後悔したものの、私には割り切って目指す形がある。

 

自分のために生きたが故に、友人が減ったと言われればNoとは言えない。

けれども、そんな僕を認めてくれる人こそ本当の友人だとも思うし、今まで培って来たものを失うのを恐れるよりも、今まで培って来たという自信を持ちたいものだ。

 

一度手に入れたものは時間をかければまた作り上げることができる。

平成から令和のように。

 

半年で世相は変わらない。

 

写真は令和の祝賀パレードを観に行った日の夜に撮影されたものです。

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