亡き祖父へ。
明日は自分の祖父の七回忌が行われます。
自分はこの日までにブログを1つ更新しようと決意していました。
故郷に着くまで残り1時間を切っています。
自分の祖父は母方の一族の中で最も偉大で、自分もまた祖父の思想と人間性を畏敬しています。
そんな祖父が癌を患いしばらくして一族1人1人に四字熟語を授けました。
自分が授かったのは
「幕天地席」
"天を舞台とし、地を客席と見る"
というものでした。
いつしか自分はこの言葉の意味を「世界中のどこにいても脚光を浴びれる人間になる」と解釈し、祖父の期待に応えるべく日々を過ごしてきました。
中学時代、卒業文集にこの言葉を用いた際、国語の教師が「正しくは幕天席地である」と自分に教えました。
立場上間違いを正す事は仕方が無いが、その間違いを正すと自分には全く違う言葉になってしまうような気がして非常にもどかしい思いをしました。
昨今、改めて自分は席に座っているただの観客だということを知った。
いや、舞台に立った後、1つレベルが上の劇場に入ったのだ。
この劇場は最高だ、地平線の彼方、見渡す限りが大舞台。
実際、自分が今いる環境は全員自分より上の実力者達です。
「僕なら見える舞台全てに上がれる」
そうして客席から学べるありとあらゆるものを学び、やっと舞台へ上がることが許されます。
だけどその舞台に立った途端、大恥をかき、舞台の上でとんでもないことに気づく。
その舞台はまた1つレベルが上がった劇場の客席だったと知る。
客席だということに気づかず永遠と下の劇場に向かって偉そうな態度をとる奴も沢山いる。
そいつらは自分の力で上がっていないのだ。
さあ、ショーを観よう、這い上がろう。
自分はいつも自分に引目を感じています。
しかし、自分が持っている「レベルが高い劇場の入場券」は中々手にする事が出来ない選ばれし者の証なのです。
たまに下の劇場で舞台に立つと称賛される。
自分は何にも凄くないことを知っているのに、称賛される。
それは舞台のレベルが低いからであり、客からすると舞台に立つ事自体凄い事なのに、自信がなくなってしまう。
自分の目は、ギラギラと光る壮大なショーを観たために、夢の見過ぎで悪くなったと言えます。
どうかこのまま客席に座り這い上がって行きたいと願います。
故郷行きの電車が残り2駅で目的地に着きます。
こんなクソみたいなブログを読んでくれてありがとう。
1時間で良いモノは書けない、これが僕の実力の全てです。
悔しいけど、ここまでとします、ありがとう。
(見直しすらしていないのですが、特に修正する気はありません、コレがありのままの僕です、僕の底力です)