短編小説「或旧友へ送る手記」

嫌に快晴の日々が続くこの時期、僕はいつも憂鬱になる。

今年も例外ではなかった。

 

芥川龍之介の遺書にあたる文章を読んだ。

どうやら自殺者の心境を書き起こしたかったらしい。

 

そんなものを読んだら当然憂鬱になる。

それから久しぶりに太宰治の作品を新しく読んだ。

 

僕の全てを超えたという印象だった。

太宰さんには勝てない。

 

20197月頃に坂口安吾を読んだとき、僕は信じられない程の感情を一度に抱えた、他者に伝えたいけれども伝えられない感情が湧き出た、伝える能力と感じる能力とのギャップで起こる病み期が訪れた。(詳しくは過去の「元年の幕が閉じる前に」を読んでほしい)

 

 

そんな僕が今度は芥川龍之介の遺書を読んだ。

この僕が今感じてる感情を言葉にするのではなく、僕が彼の遺書を読んだ後のこの感情を僕も他人に与えて見たいと思った。

 

だから少しだけ小説を書いて見た。

 

「或旧友へ送る手記」

 

風呂場には背中を丸めた猿が1

最初は驚いたがのちに慣れて行った。

その猿は自分自身だということに気がついたから。

 

欲望の余り物で散らかるこの部屋を君が見たらどう思うだろうか。

勉学に励むために支給されたこの部屋はタバコの匂いが染み付いて昨日泊まって行った女の人の髪の毛がタオルに絡まっていてそのタオルでさっきこぼした安酒を拭いているよ。

 

僕は今東京にいます。

君が病室のベッドの上で首を吊った日から5年が経つのかな、看護師に殴られて青あざが出来ていた君の頬には涙の跡がなかったね。

家族のいない君は火葬された後大海へと放たれた、なんて惨めなんだろう、この手紙を書いてる汚い部屋からもカーテンを開ければ多摩川が見える、だから僕は毎月17日なると川の流れる方角(海のある方角)に向かって手を合わせてるんだ。

 

覚えているかな、真夏の駐車場、餌付けをした野良犬が車にひかれて倒れていたのを。

僕たちはグラウンドでキャッチボールをする人を横目に2人でお墓を掘ったんだ。

自分の墓はなかった君が他者のお墓を掘るなんて滑稽だけれども、君の頬には確かに涙が流れていた。

間抜けだった僕はなんだか気まずくなってそれを汗だと言って場所を移した。

 

河原で僕はすごく虚しかった、

「ただちょっと、いつもより少しだけ悲しい。」

君がそう呟いたことが。

僕たちの時代は、どうやら始まることがないまま終わりを迎えてしまったみたいだけれども、僕たちが2人で夢を見た生活でさえ実現する前に君は死んでしまった。

 

河原で僕は「どうしたの急に」と何も心遣いのない言葉を返事として使った。「僕たちに青春は来なかったみたいだ、」諦めきれない口調で君は言った。

 

今思えば僕たちの青春というものはこういうものだったのかも知れない。

星を眺めることもできず、女子の反応に一喜一憂したり、持っている全てを剥奪されたり。

誰からも移植されることのなかった青春、元年の幕が閉じる前に渡しておくれよ君の遺書。

 

届く宛てのない君への手紙はずっと続く。

ただちょっと、いつもより少しだけ悲しいから。

春から僕も受験生になります。

 

シワの増えた猿は今日も世の中を睨むんだ、あの虚しい河原の景色を見たその目で。

上階に住む2人組の夫婦喧嘩が聞こえている。こうして手紙を書いているのは不幸なことが増えたから。

今日を生き抜けた僕は明日も生き抜けるけど、その猿は「お前もいつか死ぬ」とまるで今から首を吊るみたいな口調で言ってくる。

 

この手紙を2度と書くことのないように、2度と不幸なことが起こらないよう、今からでも何か行動を起こすべきだ。

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2019遺書 〜その時私はここに居た〜

 

 

正直、世界は簡単に変えられると思っていた。

 

俺がまだ東京に拠点を置く前、中学生のガキだった俺はAerosmithだとかその辺の80'sMusicを兄に貰ったLogicoolのスピーカーで流して気取っていた。

 

あの頃の行動力は良くも悪くも怖いもの知らずだったんだと思う。

ヒッチハイクなんかをしたり、合格が決まった高校に電話して「入学式の生徒代表を俺にやらせろ」なんて直談判もしたりした。

 

「驚いたか?世界は簡単に変えられるんだ。」

 

この言葉を信じて今までやって来た、確かに騙された、あの頃の俺がこんな馬鹿げた言葉に影響されるのも無理はないだろう。

 

そろそろ俺が東京に拠点を置いてから2回目の年越しが来るらしい。

あの時の俺とは違ってテレビは殆ど見なくなった、故に世の中とのつながりが格段に減った。

 

そんな俺でさえも感じるこの師走の風とかいう昔の人が作った言葉は今日までに俺が体験した生活を昨日の事のように蘇らせる。

 

人間の裏と表、醜い嘘や、利己主義的な行動。

 

こんなものを何度も見てきた。そんな中ここまで来た俺はすごい奴だと信じてきた。

数え切れないくらいの人間が行き交うこのでっかい街で悲しい別れも決意の別れも色々と積み重ねてきた。

 

その度に俺は「成長したね」と言われる。

 

その成長とかいうもののせいなのか、好きだった曲が薄っぺらく感じた、いつも綺麗事ばかり書くお偉いさんの本から得られるものが減った、世の中のつまらないあれこれ、その多くを経験した。

 

こんな思いをするなら成長なんて欲しくないだとか馬鹿げた感情も湧いた。

 

近頃の俺はというと生活リズムも次第に崩れ始めて言い訳なんかじゃなくて素直にこれが人間の弱さなんじゃないかって思ってる。

 

自己嫌悪、当てはめるならばこの言葉なんだろう。

かつてはポジティブの象徴だなんて言われた俺もこんなネガティブな言葉が似合うようになったらしい。

 

忙しない足元を照らすカラフルなネオンサイン、下品な若者達の匂いとジョーク。

嫌いな人間ほど輝いたり気に入られるこの世の中で「俺は今ここにいる」という事実のせいで魂を強く引き抜かれるような虚無感が襲ってくる。

 

けれども実際はわからない。

俺は常に笑って楽しんでいる。

 

断言できる、毎日は楽しい。

 

こんな素晴らしい日々を過ごしているのはこの世界で俺と俺の周りの人間だけで、俺達が頂点のはずだ。

 

 

俺は人間の全体を見るより個々を見るのが得意らしく、いつも集団に溶け込んで群がる実力のない奴を見つけ出しては嫌って軽視してきた。

 

これまでの時代であれば波に乗ったきり生涯の安定を保証されて来たが、これから俺達が生きる時代は違うはずだ、新宿の牛丼屋でバイトを叱る店長だとか有楽町のラーメン屋で見かけた小汚いサラリーマンは次第に消えていくと思う。

 

あいつらが若い頃こそ今の身なりでは何にもできなかっただろう。

全てにおいて気が抜けて、まるで掃除のできない人間のゴミ屋敷みたいだ。

 

俺の母さんは、箸の持ち方を教えてくれた。

正しく箸を持とうという価値観を植えつけてくれた。

 

箸の持ち方なんて実際はどうでもいいはずだ。

もし世界に正しい箸の持ち方がなければ、箸の持ち方は自己流のオンパレードだろう。

 

重要なのは、自分の中で正しくありたいという人間としての力だ。

 

東京は、夢を追う若者から生まれた妥協の欠片で出来ている、夢を諦めるのは誰にだってすぐには出来ない、妥協に妥協を重ね、気づいたら次第に無くなっているようなものだ、その妥協で夢を削り落とし、周りの人間達に慰められて、馴れ合いみたいな連帯感のせいで気付いたら自分じゃ無くて誰かが作ったような夢をそれぞれが持っている。

 

決して悪いことではない、ただ、お前達はそれで良いのか?

今年の5月、俺が諦めた夢を誰かが叶えた。

 

けれども俺は1124日に諦めた夢を全く違う形で諦めた夢の延長線上にあったであろう事を実現した。

 

弾き語りのワンマンライブを成功させた。

 

生活の質こそ下がっているが、俺はしっかり夢とその夢の軌道の上に乗っていた。

 

自己嫌悪の最中なんて良い気分はしないが、俺はそうやって1人になって考える時間の重要さを知っている。

 

これは東京で1人暮らしをして良かったと思える点の1つだ。

 

だから俺は今ここで2019年の俺を殺そうとしている、2020年の俺に前世の記憶を少しでも残せるように。

今年の俺は死ぬ、会ったら終わりのドッペルゲンガーが俺だよ。

 

自己嫌悪をしたって、1秒でも楽しいと思える瞬間があれば良いんだ。

 

未来に今を正当化できれば良いんだ。

 

何が正しいかなんてない、早起きは三文の徳、でも遅起きはもっと徳をするかもしれない。

 

それでもまだ俺は理想を持つ、理想を理想だと思える価値観があるから。

 

どんなに自分が嫌いでも、理想に近づいているという自覚、近づこうとしている自覚、人間に備わったこの力があれば、例え今がどんなに悪い状況でも俺達は汚れてなんかいない、堕落してなんかいない、簡単に理想を捨てられるものか、馴れ合いからは距離を置くという理想でお前達の足を引っ張ってやる。

 

中学生のガキだった俺は何にも変わってない。

驚いているよ、世界は簡単に変えられたもの、だから、2020年の俺は変わる。

 

誰もが引き返した道を1人進む不安より、たった1人で突き進む自分を盛大に祝ってやりたい。

 

行ってきます。

 

どうか私を貴方の心に大切にしまっておいて下さい、では、お元気で。

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短編小説「遺書を書く男ともう数人」

「ありがとう」

「まじでありがとう」

「こちらこそ実りのある日をありがとう」

「お前が俺を見込んだのであればその人間の1番近くで見れていると俺側からしたらそう思っている。最高じゃん、ありがとう。」

「『俺を見つけることができて本当に光栄だ』『会ったら終わりのドッペルゲンガー?だったら今までの俺にサヨナラだな、今日からは新しい俺だ。』この発見えぐい」

「まじで運命って言葉が合うよ」

「出会ってくれてありがとうな」

「自分の中で別人を作ってそいつが本当の俺を殺しにくる、そしてそいつも元が死んでしまったので自然に作った俺も消える、会ったら終わりのドッペルゲンガー、新しい俺を作る土となると思う。」

「今までで最高の日なのかも知れないと思える事が本当に幸せ」

「本当にありがとう!!!」

「一人で飲む酒がこんなに美味しいのは初めてだよ…」

「感謝しかねぇ」

「神みたいな絶対的存在は今みたいな時に信じるのが正しいんだろうな、」

「信じるというか現れるというか」

「ありがとう」

「理由をつけたい人間達はこういう時に絶対的存在に感謝するんだきっと」

「しらんけど」

「ありがとう」

「とても共感できるよ」

「幸せだ」

「ありがとう」

「俺はお前の事を信じてたし、これからも信じ続ける」

「ありがとう」

「その言葉とても嬉しいよ」

「これからもよろしくな」

「ありがとう!」

そう別れを告げた男は、家に着くと真っ先に遺書を書き始めた。

帰ると窓が開いている、そこにはもう今までの自分は写っていない。プレイヤーから流れる音楽と共に彼の筆は踊るのであった...

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元年の幕が閉じる前に

あれだけ世間が騒いだ令和元年も、残り2ヶ月で幕を閉じる。

 

私は令和になった瞬間は、親友であるTと渋谷で過ごしていた。

 

冷たい雨が降る中、若者達のカウントダウンと強い熱気に包まれながら私の生まれた時代が終わった。カウントダウンからしばらく人混みの渦で身動きが取れず、秩序のない渋谷を揉みくちゃになりながら体感した。

そして、Tと解散した後1人になった私は、「今を生きる」ということを改めて意識し、虚しくも新鮮で、複雑な気持ちであった。

 

季節が変わると同時に時代は変わった。

 

それから5日後、私はこれもまた大切な親友のRと再び渋谷を訪れた。

 

そして私達はそこで某大手予備校の教育カリキュラムに携わる人間と、その同級生らに出会った。

 

私達は彼等と会話をするうちに幾つかの議論を交わした。

その中でも色濃く私の記憶に残っているモノがある。

 

それは

「ビジネス的な生き方とアート的(芸術的)な生き方」

についてだ。

 

当初の私も深く考えていたのだろうが、半年経った私を「待て」と言わんばかりに食い止めて来た。

私は、少なくとも私の中ではあの日から明らかに成長していると思っている。

 

あれから8月にかけては大きな成長を遂げたと感じるが、8月以降の成長は、それまでの成長の延長線上な気がしてならない。

 

というのも、私は6月の末、とある作品に出会った。

それは、坂口安吾の「桜の森の満開の下」である。

私は、あの作品を初めて読了した時のことをよく覚えている。

当時の私の心には到底抱えきれないほど多くのものを感じ取った。

 

心から感情が溢れ出し、外部に感じたものを言葉にしようとしたのだが、伝わるはずもないので余計に私の負担が増えた。

私はとにかく足掻き続きた。

 

人は、心のキャパシティに収まらない程の感情を感じると、感情を表に出す能力より先に感情を感じる能力が成長してしまい、その2つの能力のギャップで孤独感や所謂”病み期”が訪れるのだろう。

 

その頃の私の足掻き、答えのような「何か」に必死で近付こうとしていた記録は、私の過去の作品「私の決意」や「前提論文」を見るとわかるだろう。

 

しばらくして7月末の8月に変わる頃、私は大きな「何か」に気づき、生活を一転させた。

私はよく覚えていないのだが、確かにあの時私は変わった。

 

その頃の私の心をまとめるために執筆したのがあの「青春移植」であった。

「青春移植」完成と同時期の8月下旬になると私は、夏目漱石の「こころ」から重要な教えを得ていた。

 

その教えからまた1つ大きな「何か」を発見し、今ではその「何か」が無いまま生きていた頃が滑稽に見えるほどである。

今の私が冷静に分析すると「アート的な生き方」において今までかかっていた霧の量が明確に減ったという実感が衝撃的な伝わり方をしていたのであろう。

 

それまでの生き方を分析すると恐らく「アート的な生き方」であったと思う。

けれども、7月末から8月にかけての気づきが決定的になった時、私は自分の成長の効率化、時間の使い方など様々なことを考え直した。

 

なぜ決定的になったかというと、10月にとてもすばらしい出会いをしたのである。

私がこれまで音楽や文学から得ていたような衝撃を1人の目の前の人間から受けるということは想像もしていなかった。

 

その人は経営学などの知識に精通している。

 

私は、その人の背中から、価値の提供と対価の支払い

例えば楽しいと思うのであれば価値を提供されているし、誰かを楽しませているということは私はその人に対価を支払っているということになる。

そして対価の支払い、つまりは出費を抑えながら成長して価値を頂戴するという斬新な考え方をその人を見て学んだ。

 

そしてこんな形の生活をしていたのであれば、当然「ビジネス的な生き方」になる。

悪いこととは言わないが、私の心のどこかで目指していたものは「アート的な生き方」なのである。

 

よくいる意識高い系のようにも聞こえるが、時間という財産を大事に使うようになった。

私は日本という社会に属している、この社会は、(少し過度な表現になるかもしれませんが)学齢期を過ぎた場合18時間を捧げるということが義務となっている。

働かない私たちのような学生は勉強しなくてはならない。

 

私の今の高校生活は、日本社会における延命処置とも受け取れる。

大学も同様だ。

 

話を戻すと、兎に角私は所属する社会に私の財産である時間を捧げなければならない。

さらに、生きるために食事や睡眠といった生命活動にも捧げることになる。

 

そこに余った時間が、「私」を確立させることができるのである。

 

私は、人目を気にする方であった。

しかし、先ほどから述べている「日本社会」も、あくまで定義であり、実際に存在するかどうかは確かめようがない。

 

人目を気にすると同じく、「社会はこんな人間を求めている」などと謳われるこの「社会」とはなんなのだろう

 

社会や、他人というものは、どうやってもそれぞれが自分の中だけで作られたもので、あなたの思う社会の悪は、私の中では社会の正義なのかもしれない。

 

社会や他人は、各々が全人類の共通認識と勘違いしがちだが、それらは自分の中だけで作られているもので、他人と共有なんてできないのだ。

 

だが、定義された社会は、確かにあるので「郷に入ったら郷に従え」といった言葉もあるように、その時間は日本人として求められているのを生きるべきだが、余った時間は自分らしく、自分の中の社会が自分に対して求めている人物になるために努力をするべきだと思う。

私はこれから余った時間に「アート的な生き方」をできたらいいなと思っている。

 

このように一度は後悔したものの、私には割り切って目指す形がある。

 

自分のために生きたが故に、友人が減ったと言われればNoとは言えない。

けれども、そんな僕を認めてくれる人こそ本当の友人だとも思うし、今まで培って来たものを失うのを恐れるよりも、今まで培って来たという自信を持ちたいものだ。

 

一度手に入れたものは時間をかければまた作り上げることができる。

平成から令和のように。

 

半年で世相は変わらない。

 

写真は令和の祝賀パレードを観に行った日の夜に撮影されたものです。

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青春移植 ~戻らない過去に捧ぐ~

私は青春という言葉を度々避けて過ごしている。
性格上、他人に言われることについては基本的に何も口出しをしないのだが、自分から青春という言葉を使うことは少ないと思う。

辞書の定義では

"若い時代。人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。"

とあるが、何事にも定義されていない、使われる上で曖昧に定義される意味が付きまとう。

私の中では、青春という言葉にはどうも「戻れない過去」という印象が強い。

「青春してるね」と言われることはとても嬉しいのだが、自ずから「今めっちゃ青春って感じ」と言ったような覚えはない。

青春はなぜ終わってしまうのか?そして、いつ始まったのか。

私の日々を青春なんて言葉で過去にしたくない。

私は今、(以前にも書いたかもしれませんが)私の人生で初めて未来よりも過去よりも今に1番魅力を感じている、今に満足しているのだ。

しかし、大人は「今のうちに楽しんでおきなさい」なんて言ってくる。
さして年齢が変わらないはずの大学生にも言われる。

17年間生きてきて、やっとの思いで辿り着いたはずの今なのに、失うのが早すぎる。

確かに、高校生活は後1年半もすれば終わり、1番青春という言葉に近いとされる年代的分類が変わる。

私は決して過去に戻りたいとも思わないし、今に対する希望を全て未来に託す気も一切ない。
私にとって今は必ず過去よりずっと良いものである。

けれども、所謂右肩上がりの生活が、いつ終わってしまうのか見当もつかない。

(そもそもこんなことを考える時点で、私の「今」に対しての素直さが欠けているのかもしれませんが、あくまでも客観的な自己分析です。)

過去に憧れる未来に不安を持つ私は、日々を振り返らないことにした時期もある。

これは、ごく自然に私の中で起こった行動であった。

すると、親しい人達が、過去のことについて語る時、昨日を超える何かに直面していないのではないかと考えるようになった。

事実として過去は戻らない。

1つ断っておくが、私は決して過去や思い出に浸る人間を否定しているわけではない。

むしろ、過去や思い出を遡ることは、美しい過去があるという、とても素晴らしく誇りに持つべきことなのだ。

理想上では過去、今、未来の全てにキラキラしたものを見出すことであろう。

だが、人間は(少なくとも私にとっては)そこまで器用ではないし、完璧でもない。(だから人間が好きなのです)

私の現状は、未来にのみ、不安を持っている状態だ。

過去は、「今」の生活に隠されていて、悪い記憶なんて殆ど蘇らない。

未来は、進路の事などのせいで、あらゆる保証が無い状態である。

だが、未来について不安を覚えている時期、今が戻らない時期なのかと葛藤すること自体が、「青春」という言葉に本当に当てはまっているのかもしれない。

自分を信じる事、自分が正しいと自信を持つ事、他人と自分の境界線をはっきりと置き、私はこの結論に辿り着いた。

私の中では、幸せしかない今後の人生なんて退屈で仕方がない。

少しの不安が胸にあり、3ヶ月に1度くらいに病むこと、上手くいかないことが悪い事ではないし、上手くいってることが良い事とも決して限らない。

戻らない過去を青春と呼ぶならば、未来もいつか戻らない過去になる。

「あの頃が1番楽しかった」と、嘆いてるかもしれない未来の自分は、おそらく幸福である。

私が今、そして今までで培ったこの最高の日々で、困難に対して少しでも乗り越えられる材料になるはずだ。

人はいつか死ぬ。

未来が全て過去になった時、私の過去を見て未来や今に起こっているあらゆるものに対して希望を持ってもらえる人間になる。

青春をリレーし、受け継いで行く。

今だよ、今なんだよ。

世の中には、たった今生まれた人、ビルの屋上で涙を流す人、他人に全て捧げている人、学校に行けない子供達、乞食をする老人。様々な人がいる。

全ての人間に、今が平等に与えられ続けている。

死後の世界には興味がない、けれど、あと10分で死んでも良い、僕の今と過去と未来は臓器移植のように誰かの為になる。

写真は僕が1番素直に幸せを噛み締めた表情を写せたものです。(山手線一周完歩の瞬間)
親友であるウルフ君が撮影してくれました。

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17才、1日目。(8月3日執筆)

 8/3にどうやら私も17歳になったようです。

半年前と比べると、大した変化もないように思いますが、1年前のことを思い出すと赤面するほどに成長したなと感じられます。

穢れましたよ、良くも悪くも変わりました。

しかし、1年前の今頃も高校生になってさらに1年前のことを思い出してずっと成人した気でいたことでしょう。

そのはずが赤面するほどになるとは...きっと来年も同じことを考えているでしょう。

成長とは、ゴールがあるわけではなくて、言うなればいつも今がゴールで、過去と比較した上での、過去があるからこその産物なんだろうなと感じます。

人間関係においても、私の人間関係のコンプレックスのようなものだった三年以上つるんでいる友達の少なさ、というものが私はそれほど重く感じていませんでしたが、これは全く悪いことではないのかなというのが最近になってやっと証明できて来たのかななんて感じています。

一人の友人と共有する時間が増えれば増えるに連れて、お互いに成長していくのでしょう。

なので、やっぱり誰でも一人でいる時間が重要なのです。

長く続く関係というものが素晴らしい、長く続いてる関係が少ないのは少し残念といった自分の中での固定概念が少し壊れる出来事があった。

夏生まれの夏休み

最近は自分の考えを言語化するためにこのブログを使って来たが、ここらで少し箸休みも兼ねて夏休みに起きた出来事的なものを綴って行こうかなと思う。

我が校の夏休みは7/23からだった。
初日は移転寸前のニコニコ本社に行こうと急に誘われたり、夜に友達とカラオケにいくなどで、2日目も友達と遊んで3日目も友達と遊んで...

3日目は用事を終えて渋谷で1人になっていた時にほぼ1時間後にリーガロイヤルホテルで開催される企業のパーティーに誘われて参加することになった。

顔がラリっているので写真は載せないでおこう
(代わりにインスタのリンクを貼って起きます)

そして4日目は母親が東京にやって来て学校の三者面談を受けた。

5日目に私は私の高校のオープンキャンパスのスタッフで、プレゼンを頼まれていたのでプレゼンをした。

その後に隅田川の花火大会にみんなで行ったが、橋の規制がかかり入場できずに結局花火が見えず、そのまま新宿へ帰りサイゼリアに行きその後腑に落ちないからと花火をした。


28日は夜に渋谷でなんかおしゃれなクラブみたいなところにお邪魔して来た


そしてその翌日に中学二年生の頃からの付き合いであるT君と出雲に寝台列車に乗って旅をする予定でいたので長野から東京にやってきたT君を迎え、彼を東京で歩かせるにはどこかに行って時間を潰した方が良いことは思っていたので板橋にある「さやの湯」に連れて行き、温泉に浸かった後、そこで出会ったおじささんが屈託無く僕たちにご飯をご馳走してくれた。

そのまま寝台列車に乗り込み出雲への旅が始まった。

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出雲に到着したのは時刻通りで、東京駅を22:00に出発して、9:58だったか、12時間近く僕たちは電車に揺られていた。

サンライズの車内、のびのび座席とやらは床が固くてなかなかに体を痛めた。

そのまま出雲駅から出雲大社の最寄駅まで現地の私鉄を乗り継いで有名な出雲大社に到着した。

昼ごはんにうどんを食べてその日は出雲周辺の日御碕などをハイキングがてらに巡った。

翌日は、松江市街の散策で、松江城を見て回り、勾玉作りを体験して来た。


そして6時間以上かけて東京へ戻り、武蔵野アブラ学会を食した後にT君のバスを見送った後に島根県のホテルで決意した「山手線徒歩で一周」という思いつきに集まってくれた二人の仲間と合流して16際最後の東京で過ごす夜の思い出作りをするべく、12時間かけて29駅、50kmを歩いた。
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壮大なドラマと発見があったのは気が向いたら書こうと思う

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ゴールした瞬間の僕
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僕たちはバスタ新宿から出発してバスタ新宿まで一周したのだが、出雲からそのまま、一周、そしてそのまま山梨行きのバスにゴールした20分後くらいに乗り込むという暴挙をしてしまった。

地元に帰ってすこし休息の日々かと思いきやそうでもないような気がして意識して休息を取ろうと思います。