短編小説「或旧友へ送る手記」
嫌に快晴の日々が続くこの時期、僕はいつも憂鬱になる。
今年も例外ではなかった。
芥川龍之介の遺書にあたる文章を読んだ。
どうやら自殺者の心境を書き起こしたかったらしい。
そんなものを読んだら当然憂鬱になる。
それから久しぶりに太宰治の作品を新しく読んだ。
僕の全てを超えたという印象だった。
太宰さんには勝てない。
2019年7月頃に坂口安吾を読んだとき、僕は信じられない程の感情を一度に抱えた、他者に伝えたいけれども伝えられない感情が湧き出た、伝える能力と感じる能力とのギャップで起こる病み期が訪れた。(詳しくは過去の「元年の幕が閉じる前に」を読んでほしい)
そんな僕が今度は芥川龍之介の遺書を読んだ。
この僕が今感じてる感情を言葉にするのではなく、僕が彼の遺書を読んだ後のこの感情を僕も他人に与えて見たいと思った。
だから少しだけ小説を書いて見た。
「或旧友へ送る手記」
風呂場には背中を丸めた猿が1匹
最初は驚いたがのちに慣れて行った。
その猿は自分自身だということに気がついたから。
欲望の余り物で散らかるこの部屋を君が見たらどう思うだろうか。
勉学に励むために支給されたこの部屋はタバコの匂いが染み付いて昨日泊まって行った女の人の髪の毛がタオルに絡まっていてそのタオルでさっきこぼした安酒を拭いているよ。
僕は今東京にいます。
君が病室のベッドの上で首を吊った日から5年が経つのかな、看護師に殴られて青あざが出来ていた君の頬には涙の跡がなかったね。
家族のいない君は火葬された後大海へと放たれた、なんて惨めなんだろう、この手紙を書いてる汚い部屋からもカーテンを開ければ多摩川が見える、だから僕は毎月17日なると川の流れる方角(海のある方角)に向かって手を合わせてるんだ。
覚えているかな、真夏の駐車場、餌付けをした野良犬が車にひかれて倒れていたのを。
僕たちはグラウンドでキャッチボールをする人を横目に2人でお墓を掘ったんだ。
自分の墓はなかった君が他者のお墓を掘るなんて滑稽だけれども、君の頬には確かに涙が流れていた。
間抜けだった僕はなんだか気まずくなってそれを汗だと言って場所を移した。
河原で僕はすごく虚しかった、
「ただちょっと、いつもより少しだけ悲しい。」
君がそう呟いたことが。
僕たちの時代は、どうやら始まることがないまま終わりを迎えてしまったみたいだけれども、僕たちが2人で夢を見た生活でさえ実現する前に君は死んでしまった。
河原で僕は「どうしたの急に」と何も心遣いのない言葉を返事として使った。「僕たちに青春は来なかったみたいだ、」諦めきれない口調で君は言った。
今思えば僕たちの青春というものはこういうものだったのかも知れない。
星を眺めることもできず、女子の反応に一喜一憂したり、持っている全てを剥奪されたり。
誰からも移植されることのなかった青春、元年の幕が閉じる前に渡しておくれよ君の遺書。
届く宛てのない君への手紙はずっと続く。
ただちょっと、いつもより少しだけ悲しいから。
春から僕も受験生になります。
シワの増えた猿は今日も世の中を睨むんだ、あの虚しい河原の景色を見たその目で。
上階に住む2人組の夫婦喧嘩が聞こえている。こうして手紙を書いているのは不幸なことが増えたから。
今日を生き抜けた僕は明日も生き抜けるけど、その猿は「お前もいつか死ぬ」とまるで今から首を吊るみたいな口調で言ってくる。
この手紙を2度と書くことのないように、2度と不幸なことが起こらないよう、今からでも何か行動を起こすべきだ。