無音無光(未完)Writing by 2019/5/3

この連休に僕は5/2から山梨に帰省している。
ありがたいことにもだんだん東京で友達に誘われる機会が増えてなかなか帰省するタイミングを確保できずにいた。

これもまた嬉しいことに毎日に予定が入っているので少し前のことでさえもかなり時間が経ったような気分になることが多いが、連休を振り返るとまず初日はイベントの超会議に行き翌日にはレイボープライドのパレード、そして1日友達のライブで平成最後の日は友達と下北沢をうろついた後に元号が平成から令和に変わる瞬間に友達と渋谷で雨の中スクランブル交差点にておそらく日本一の(元号が変わるのは日本のみのため世界一になる)盛り上がりを体験してきた。

若さを武器にして雨の中半分野宿の様な一夜を過ごした後に友達と1日遊んだりしたので風邪気味になったが気合いで治しつい昨日友達のライブを見るために合わせて帰省した、一週間で3回目のライブであった。

今日は午前中家族で愛犬をドッグランに連れて行ったら風邪らしき体調不良を少しぶり返し夕方頃に2時間ほど睡眠をとってしまい夜になって布団に入っても寝付けず2、3時間僕にとって変な時間を過ごした。

イメージ 1


イメージ 2



遮光カーテンで覆われている私の部屋は電気を消すとまさに無光。
さらには田舎で騒音と呼ばれるものが寒さに弱い不定期的な暴走族による短期的な爆音の他は殆どない。

布団に入る前、少しの時間ベランダに出た。

思い出した。忘れていた。
山梨は盆地だった。そんなどうでも良いこと、ではない。

自分は思っていることを何かと理由をつけて言うことが多く(それは今も変わらない事かもしれませんが)当時の自分、2年ほど前、山梨県は盆地で夜になると山の斜面にポツンと小さい光がある時があってその光を見るたびに「僕はあの場所におそらく一生行かないで生涯を終えると思う」みたいなことを言ってなるべく未開の地を無くしたいと思っていた。


(未完)

桜が咲くだけの日々

最近このブログの更新頻度が上がったと思ってる方々へ、
これは毎年四月になるとやる気が出た上で「五月病」と呼ばれるものになる典型的なケースで四月に張り切り過ぎて、五月のGWあたりから急にやる気が無くなるという現象の一つであり決してこのブログの更新頻度が維持されるわけではないということだ。

実際今まで何度も五月病を経験してきた。

今年はよくわからないがやる気は特になく五月病になってもやる気で手にしたものが5月以降も残ればいいかな程度の考えで生きている。
やる気が起きていないせいで四月一日を過ぎてしまいその日は呑気に令和の号外を探す旅に出ていた。

記念の日を通り過ぎた後、四月四日にも入学式で新入生代表として宣誓挨拶を行なっていた。

合格が決まった後に問い合わせフォームに連絡して「俺にやらせろ」的な感じの交渉をしたのを覚えている、交渉成功後に母親と全く別の理由で喧嘩したことも覚えているw

俺はこの一年全体が濃いというわけではなく1日1日に出来事がたくさん詰まり過ぎてもはや「成果発表会すごかったね!」とか言われてまだ一ヶ月経ってないのかと驚いたりしている。

だからこそもっと更新したいが残り少ない覚醒期間をお楽しみください。

実際ブログを書くのは困難なことであり前回のブログから描き途中でボツになったブログがいくつかある。
無駄に時事ネタを書くからいけないのである。

文章を作る上で素人はどんなに壮大な物語が浮かんでいても完成した時には原稿用紙100枚程度(40,000文字)だったという話はよく聞く話だ。

かといって「どうせ作っても黒歴史になるだけだ」や「全部丸パクリになっちゃう」などといって作らない奴よりいじめの原因になろうと著作権法で訴えられようと素人が自分がやりたくてやったならそれは褒め称えるべきであるし、作り続けることによってそれが作者のスタイルとなり結果的に悪い結果は生まれないはずである。

私は今まで文章ではなくどちらかというと歌詞とポエムの中間あたりの何かを作っていた。

今年に入ってから大の読書嫌いだった僕が去年の11月頃くらいから人工知能の技術書を片っ端から読み漁り、立ち読みもして猪突猛進で知識を取り込んでいたことにより「あれこれ読書もいけるんじゃね?」と思い試しに人生で唯一読みきったことのある本であった太宰治の「人間失格」からの繋がりで「斜陽」を購入してみたのである。

当初は読みながらも読める気力と時間があるなら技術書読んだ方がいいような気もするけど的な雑念があったのだが、太宰治の独特の物語の主人公が著者となるスタイルに読みやすさを覚え、身長が徐々に伸びることにより伸びたこと自体に気付かないのと似た感覚で没落していく貴族たちの世界が、読んでいて「早く先を読みたい」という今まで感じたことのなかった感覚を覚えた。
太宰治の作品の多くは読み終わった後の客観的視点で見た途端に現れる、先ほどの例えだと身長が伸びたこと自体が魅力である。

そして読み終わった後に兄貴が感動したという坂口安吾の「堕落論」も読み始めた。

今までは歌の歌詞などでおそらく文章力が鍛えられて血となり肉となっていたが、おかげで俺はさらにパワーアップした。
読書嫌いだったため「俺は歌の歌詞とか読んでるかいいや」とか周りに対して言っていたのだが基本的に歌の歌詞では例え伝わりにくかったとしてもあえて遠回しの言い方を選び聞き手に自由な解釈を持たせるが、文学(?)では直接的な表現は好まないかもしれないがやはりどんなに格好の良い比喩が浮かんだとしても「そこにそんな長い表現入れる?」みたいになってしまう。
そのため歌詞は名詞を後ろに置くことが多い。(調べたら体言止めとかいうらしいです)
サザンオールスターズの「涙の海で抱かれたい」の「波と戯れる裸のビーナス〜さよなら僕の愛しのangel」という部分とかまさに典型的な例である。

俺のAI「ハハワモン」君もその辺に気づいてくれていることを願う。

このブログで何が伝えたかったのか、三日に分かれて書いているためにわからなくなっていたのだが回収すると続けることの意味や何事にも今後に役立つ経験になるということだったのであろうが、これだけでは当たり前すぎる。

当たり前を当たり前にこなせてこそが勝負だ、基礎がしっかりついたということは自分にとってとても誇らしいことであり自信である。

コメントくれたら喜びまスワン🕊

一年という月日〜友情編〜 (駄作

2018年の4月1日に僕は故郷である山梨を離れ東京の高校へと通うために引っ越してきた。
今日は3月29日。一年前の今頃はこの一年ブルーハーツ以来の心を動かすバンドである「bacho」を初めて知った時期になると思う。
残り少ない地元での生活のはずが大阪に行ってDTMをちょっと触っていた時に教えてもらったのが最初であった。

俺にとって一年という月日、一年は僕の人生の16分の1の時間であり俺は早いか短いかという問いに全く答えられない。

一年は変なやつだ、全て俺らとの付き合い方で俺らを変えてくる。365だか366だかはっきりしない野郎でなんの理由もないくせに我々生物の年齢を一つ繰り上げる。
「一年」と仲の良い「日々」や「時」は俺らと近い存在に生きているのに一年だけはなかなか姿を現さない。

つい昨日、一年にわずか届かない日々を東京で過ごした大切な友達が地元に帰ってしまった。
なかなかぶっ飛んだやつだったがクラスの中でも芸術肌な感性には定評があり、人がやらないことをやっていたせいで笑いを取れていたが、彼なりに膨大な苦労と悲しみを抱えて生きてきた。
彼と俺はおそらく一年間で最も一緒に過ごし、秘密を共有し、ある程度ぶつかり合い友情を確かめ合った完全に完成された「理解者」と呼ぶのももどかしいが俺にとっては信頼の塊のような存在であった。

しかし彼一人を特別な友達として見るのは僕にとってナンセンスである。
私はどんな人間に対しても永遠に友達であり続けたいと思い友達が本当に好きだ。

彼は地元までの道のりを青春18きっぷで帰ることになったので昨日最後に手を降りあった場所は何も変わらない代々木駅から出発した。
手を振った後彼の背中が逆行する人々の中にまるでもみ消されるように俺の視界から塞がれた。
全てがいつも通り、1分ほど立ち尽くし後ろを振り向いたら驚くほど変わらない街並み、かと思いきや360度どこを見渡しても見慣れた風景、何もない風景、何かないと決めるならあいつなんだろうが何も感じなかった。
特に理由はないが新宿駅まで歩くことにして俺は考えていた、明日から僕には僕の生活があり彼には彼の生活があり今日のことなんて忘れて明日にはお腹を抱えて笑える気がして、そんな自分がわからなくて「そのくらいがちょうどいい」なんて痰を出すのではなく心の底から湧き出るため息交じりの咳払いをしながら自分に言い聞かせていた。

その後部屋に入るまで何を考えていたのか、他に考えることがないのか自分に疑問を持つぐらいの時間を過ごしていた。

帰宅した後家を出発する前に練習していた尾崎豊の「卒業」の練習の続きをしたなんだか練習をやり切らないとこのブログや製作はおろか、食事や入浴なんかもしてはいけない気がしてまるで取り憑かれたようにピアノの前に座り20年以上前に作られた5本の線の上に描かれた記号を僕が音として放つのであった。

途中トイレに行った時、鏡を見たら別れた後に泣いたことを思い出した。
幾ら何でもキザ過ぎる表現と感じるかもしれないが大人ぶった高校生が正直に書いたものである。

お互いに自分のことを思われて泣かれた経験は初めてだとしばらくしてから確認しあった。

写真から壮大なドラマを感じ取れるだろうか?
俺は普通の写真と違って見える。
イメージ 1

俺はさよならは言わないし別れという言葉も使わない。友情の確認なんかもういいや、ただ俺は元気だからまたなんか話そうぜ。


今回のブログはうまく書けんかった。気持ちの整理をしよう、文章に起こすのは難しい、ただ継続をするために満足がいかなくても俺は書き続ける。

大人になるということ from2019/3/26

年度末、いよいよ平成最後旋風にも歯止めがかかってきた。
私は平成生まれなため普通の時代が変わる瞬間を知らないので次の時代が終わるまで生きて”喪に服す日本”とやらも一目見て見たいと思ったりするが実際今回は最も特殊な時代の変わり方だそうでこれからはもう見れないだとか...

世間のことなんて俺のブログに書いてしまうと大人気ブログが故にYahoo!ニュースよりアクセス数が上回ってしまい謎の力によって抹消されてしまうので僕の周りの出来事を赤裸々に綴ろう。

年度末といえば卒業の時期であり俺の場合は進級の時期である。
つい昨日の話だが兄貴が早稲田大学を卒業して俺はカラオケに行き尾崎豊の「卒業」を替え歌を交えて歌ってあげたりした。

我が高校では創立3年目にして初めて一期生が卒業するということなので力がこもった盛大な卒業式が執り行われたらしい。

仲の良い友達も何人か卒業してしばらく会えない日々が続くだろう。
我が寮でも多くの留学生が日本で学んだ知識を糧に母国で再び活躍する日々のために帰国する友達は少なくない。

地元に帰る友達の引っ越しの手伝いをしたのだが、大都会の片隅の住宅街の一角にあるマンションの一部屋で行われた一年の生活の終焉は匂いや空気感、部屋の明るさまでもに長い時の深みが現れ、人間味が溢れる色に染まっていた。

今年に入ってから兄と姉とその友達の三人の引っ越しの手伝いをしたのだが、やはりそれぞれ感慨深いものがあり僕はその度に自分のことのように感傷に浸り窓の外を眺めながらタバコの煙を吐くような細長いため息をついていた。

僕は今多摩川のほとりにある街に住んでいる。新宿へのアクセスが最高で定期券内ということもあり、あまりこの町のみで完結する日々を送っていないのだが駅から遠ざかれば遠ざかるほどにどこか懐かしい都会と違う空気を感じる。
駅の改札やホームに踏み入れるとすでに空気は都会へと変わる。
違いが言えるのはどうしてだろう...きっと子供達はまだ親に一人で電車に乗ることを許されておらず自転車でこの町を駆け回っていると思うのだが重要なのがこの町の住民はこの町を出ることが少なく、この町のみで生活を完結しているということだ。

どんな場所でもきっとそこは誰かのふるさと、これは俺が旅行に行くたびに思うことだが裏を返せばふるさとじゃない場所、誰かの所縁のない場所なんてほんの一握りでどんな場所でも人間は育つことができ、平等に思い出を作り小さな体で小さな町から世界や夢を見ることができるのだ。
人のふるさとが近くにあると考えるとキリがないのだが、きっと都会に電車で通う俺たちが使う空気の違う駅はこの町の子供たちにとってリュックを前に背負うというわけのわからない都会の流行を取り入れる変な大人たちの生産機に過ぎない。

自分でも何を言っているのかわからないが山梨に住んでいた時から俺はリュックを前に背負うという到底理解しがたい都会での生活に憧れ、満足してきた。

最近は大人になると言うことについて今の時期関係なく考えるようになった。
都会の人間に憧れるよりももっと根本的な存在に僕は昔から憧れて来た。
それが「大人」である。
事あるごとに今に至るまでの俺はいつか必ず大人になるにも関わらず常日頃から大人の真似をしてきた。
服装にしても小学一年生の頃はわざわざ早起きをして兄の中学校の制服であるブレザーを着て大人の真似をしていた。
理由は大人の着ているスーツに似ているからだ。

〜〜この辺りから僕が眠くなってしまったので文章がおかしいですがあえて校閲しないで投稿します〜〜

12月に行われた高校のキャンパスの文化祭で俺は実行委員で当日のほとんどの時間はステージや人前に立ち司会などをして運営スタッフを全うしたのだが、その時もやはり実際には存在しない理想の何かに近い形で振る舞いやら当日に至るまでを過ごしていた。

大人を常に過信し、それに向かって走って着た俺はあと5年も経たないうちに大きな大人の定義である年齢を通り過ぎる。

大人になったらどうなるのだろうか...なぜ俺は今まで待っていれば必ず昇格できる存在に向かって成りすまそうとしてきたのだろうか...今のこの年齢らしいことを考えなかったのだろう。

僕が中学の頃に考えていた概念を一つ紹介しよう。
誰かに嫌われていない世代なんてなく、きっと誰もが自分の年齢にコンプレックスを持って過ごしている
と中学の時まではずっと思っていた。
僕は今のように高校生活を充実しているとは全く思っていなかったのでこのようなことを考えていたのだが(今も当時の考えに至る理由はわかる)ふと思い出してみたら生まれてから初めて早く時が経って欲しいと思わなくなった、早く大人になりたいと思わなくなったのだ。

当時の自分はどちらかと言うと早く高校生になって東京に暮らしたいと思い、未来のことばかり考え、当時の生活を軽く放棄していたとなると少しわかりやすい説明になるだろうか...?

ただ、未来にすがらなくなった次は過去にすがらないことだ。
「あの時出来たから」と過去の栄光にすがるより見つかりにくいものは「俺は成長した」という自信を通り越した成長したと言うことが大きな自慢になることである。
過去の功績ではなく、今新しい何かを作るために努力をしていると言うことを大事にしていかなければならない。そして未来のことについても今の努力が実った後の評価にすがるのではなく次は何に対して努力するかを考えるくらいの気持ちで日々の生活に臨んで行きたい。

〜〜翌日の夜書き足し〜〜
僕はBUMP OF CHICKENの続くだらない唄という曲を聞いてまた大きく心が動きました。
その歌詞の一部分をここに抜粋します。

電車に乗って 2時間ちょっとの都会に出て来た 小さなそのプライドを 見せてやろうとした 電車に乗って 2時間ちょっと いつでも帰れると 軽く考えていたのが そもそもの間違いだった ここで手にした「輝かしいどうのこうの」に それよりも輝かしい あの日が 見事に壊されていくようで 怖くって 何度も確かめてみる

少し長い抜粋だがこの曲は曲全体において僕はこの言葉を多用しがちだが「衝撃」を受けた。
本当さ、本当に胸の奥に響くんだよ。
この感覚を僕は大事にしたい。
昨日の夜書き切ろうと思ったのだが途中で文章がおかしいのに気づき何も生まれないと思い寝てしまって今よくわからないままほったらかしてしまったので文字通り「赤裸々」に投稿する。

追伸、
この三月に何かを卒業された方へ、おめでとうございますの意味がわかる方もわからない方も、あなたの何かがあなたの中で修了課程に達したことについてお祝いの言葉を申し上げます。
これからは過ぎる毎日ではなく過ごす毎日を送りましょう。
写真は近所で撮影した桜並木です。
イメージ 1

明けましておめでとう御座います!

前の日曜日に体調を崩し熱を出したのだが水曜日からエンジニアとして1週間インターンに行くことになっていたのだが初日に無理をして出席したら案の定体調が崩れた。


今は病院で2時間待ちというのを聞いて動きたくないので待合室で待つ決意をして待っている最中だ。
この待ち時間の間に大黒摩季のベストを聴きなおそうと思ってナウプレイングである。


先日林先生の初耳学を見ていて一生の音楽の趣味は14歳の頃に聞いていた音楽で決まるという事なのでかぐや姫とかかなとか思っていたが確かめるために昔のブログを読み返していた。


ピュアすぎてびっくりしてしまった。
そして、昔の俺はイキったり無駄にオブラートに包んだ言い回しをしていた。
俺の今年の抱負は2020年の1月1日に今年の正月のことを思い出して「あの頃は未熟だったな~」と総合的に見て思うことである。
人は自信を身につけると変わるのだときっと思う。


上記に書いたオブラートに包んだ言い方というのは自信が足りなかったのだろう。
例えば一年前というと成長したと自分で思っていたにも関わらず今思い出したりブログを読み返すと未熟という言葉がやっぱり浮かんでしまう。


俺はこんなにつまらないブログが書きたいわけではないのだがいつか見返した時にわかりやすいように正直に綴っていきたい。
継続出来るようになれば矢吹丈ガネーシャの様なブログが書けるようになるだろうと、
しかし自分は学校の日誌に毎日の出来事をこと細かに書いている。


先日、寮で仲良くしていた台湾人が帰国して4月に再び日本に住むらしいのだが会う機会は格段に減るらしい、そんな彼から年賀状が届いた

イメージ 1



彼もまた哀愁が漂う人間だった。
最近俺は人間失格を読んで良かったと心の底から思うようになった。

あの本の本当の良さはうまく表せないが言葉で最も近い方法で表すとやはりよく言われる「哀愁」なのだろうか、ざっくりはあのメインの物語は一度も話したことのないし会ったことのない人間の日誌をたまたま喫茶店のマスターにもらいその日誌の内容が大半を占める、

その日誌はおそらく誰にも見られることを想定していなかったのだろうが(最後は自分の意思でマスターに送ったのかな?)子供の頃から他には絶対にいないような廃人とも言える人間の一生がこれでもかとグロテスクに綴られてる。


いつまでたっても彼の人生に光が灯ることがないように思えるだろうがちょくちょく本人にとっては素直に感じてはいないがそれが幸福なのだよと言いたくなる瞬間があったりもしたはず。

そんな個性的な人間の人生をえげつないほど生々しく書かれたものを読んだらきっとあなたも訳の分からない感情に襲われると思う。(哀愁に近い何か)


おそらく読んだ当時の俺は今の俺が感じている魅力は全くわかってなかっただろう。

おそらく東京で暮らし始め渋谷などにもちょくちょく通っていた甲斐があったのだろう。
人混みに行くと自分の感性が磨かれると俺は思っていた。

もう3ヶ月くらい前の話になるかもしれないが学校のティーチングアシスタント(以下TA)と呼ばれるプログラミングを教える大学生に言われて嬉しかった言葉がある

「杉山くんは感受性や感性が人より優れていて他の人にないものを持っていると思うので大事にしてほしい」
と、

そのTAは出勤した日には必ず俺の日誌にコメントを書いてくれる。

だから日誌などを見たり俺が人工知能ブルーハーツの歌詞を学習させようとしていた為に感性が優れていると感じてくれたのだろう。

そのように自分が成長して欲しいのは感性なのかもしれないとこのブログを書いてるうちに思った。

ただ、上京して成長しない人間なんて殆どいないのだ。

昨日に体験したインターンでは弱音でもなんでもない感想でまだ1日しか経験してないただの若造の感想と捉えて欲しいのだが

思ったのは
普通の社会人ってこんなにつまらないんだと良くも悪くも思った。

俺は自分のことだが過去の思い出に浸からないようにしてる。だからかおそらく周りを見ていると他より思い出によりかかってはいないのだろうが、なんだかんだ毎年去年は良かったなと感傷に浸る時期がある。


だが俺は普通に山梨の高校に通う自分の姿が全く浮かばない、あと3年山梨にいたら本当にどうなってたかわからない。

離れたからこそ感じる親のありがたみなど、もう少し恩返しには時間がかかるのだが家族の偉大さにきっと山梨にいたら気づかなかっただろう。

今の私の高校は世間でいう普通とはかけ離れている、それが故に母校にコンプレックスを持つ生徒も多い、しかし色々批判は存在するが周りの意見を一旦全て追っ払って自分らの事を自分らでクソって言ったらきっとおしまいなんだなと思う。

N高に通っても浮いてる奴はいるけどうちの学校は校外でのネットワーク持つのは珍しくない。
また他校の場合校外ネットワークを持ってる人はほとんどいなくて俺は中学の頃そういう人間だったからこそ今みたいになっているから結局結果オーライなんじゃないかと、(普通の学校で校外ネットワークを持っている人も充実しているし我が校でも浮いてるやつは中学の頃の俺と同じで充実してるのではないか)
なにより普通の高校の方がもしかしたら楽しいのかもしれないが絶対言えるのは普通の大人になったら必ずつまらないと感じるだろう。

あそこにいた人間はすでに免疫がついていたと思うので感じないと思うが俺があんなにリアルな人間が周りにいるのに心の底から笑わなかった1日など現役高校生にとってはどうしてもつまらないと感じてしまう。


((見返したときに割愛しました))
((個人的な日誌を作ってそこに綴りたいと思います))
自分の心の中でこの1週間やりきりたいという決意が芽生えた。


こんなことを書いている間に大黒摩季のベストが再生し終わった。
ざっくりあと1時間は待つことになるだろう。
少し長く書きすぎたかもしれないし書き損ねた部分もあると思うが何より言えるのがこの文章を全て読む人間はびっくりするほど少ないだろう。
ただ未来の自分にいいメッセージになったと思う。
最近は疲れ目のせいかたまに目がぼやける。
今診察券を出す時に俺の前に割り込んだヤンキーが診察室に入った。このブログもそろそろ終わりにしよう。
一旦全て読み返してから投稿する。
目の休憩をしてから見返そう。
次からはもっと継続をして面白い自分の書きたいようなブログを書くために頑張る、今回の文章も自分が書きたいことなんだけどねw

読み返したけど自分の思ったほどいい文章じゃないなw

おひさ

縁にシリーズ物をやったせいでなかなか新しいブログを投稿できなくなってしまっていたのだが今回の三連休にずっと風邪が治らなくてずっとベッドに寝て居たんだが日曜日あたりに突然中学一年生の時の入院の辛い日々を思い出して母親や家族全員に迷惑をかけたことを思い出し思いが感極まって泣いて泣き止んで落ち着いたら心配させないように電話をかけようと思ったのだがちょうどそのタイミングに電話がかかってきて少し泣いてしまったw
家族に対しては人一倍思い入れがあると自負しているのでやはり日々の感謝は必要なもので今の自分と三年前の自分を比べるというのは成長なども含めて自分の自慢でもあり悪趣味かもしれないが密かな楽しみでもある??
色々描くものもあるはずだしあったはずなのに言葉が浮かばないので今回はこれでおさらばとする👋

日本版ギターの名作100選Part2+洋楽70年代の伝的年表

前回の続きです、早速

6曲目

コーヒーブルース(1971)

またまたプロテストフォークの高田渡さんの曲、元々彼の曲は表面的な歌詞ではないものも多く関西フォークとしては少し珍しい気はする

7曲目

はいからはくち(1971)

東京オリンピックの誘致を皮肉に歌っているようにも見える。日本版のヤードバーズ的なこのバンドもやっぱりよく考えたら強すぎる

8曲目
吉田拓郎が作詞作曲をした珍しい作品最初は彼らが作ってモップスがカバーしたものだと思っていたので鈴木ひろみつさんが死んでいると聞いた時「もっと早くからこの時代の曲にハマればよかった」と思った。なぜならこの曲の歌詞は以前のブログ「曲で受ける衝撃とは」で紹介した吉田拓郎の中の二つのうちの一つなのだ

9曲目

おきざりにした悲しみは(1972)

この曲は上記の吉田拓郎で衝撃を受けたもう一つの歌。イントロ部分からロック調から始まる男の哀愁漂うこの歌詞と曲調は「旅の宿」や拓郎のヒット曲とは少し違う空気を感じるが割とこのような曲も拓郎はバランスよく作っている。彼の曲は聴きやすいし流しているだけでもおすすめだ。ファンキーモンキーベイビーズレミオロメンのどちらかも彼に影響を受けていると語っていた。

10曲目

そして神戸(1972)

特に彼のついての特別な知識はないが彼の代表曲(ベスト盤)を聞いた中では一際目立つ力強い歌となっている。神戸に何かしらの思い入れがあるのかは不明だが地域を歌う曲はその土地で語り継がれていると思うので神戸のカラオケで歌いたい


番外編

次回は十一曲から始まるのだが11曲目はロングヒットの名盤、「彷徨」収録、小椋佳の「さらば青春」(1972)である。
当時のレコードの総合生産枚数では一年後のみんな大好き「氷の世界」に次ぐ二位となっている。ちなみに海外ではこの年にデヴィットボウイの名盤「ジギースターダスト」が発売されている。似たように翌年の1973には世界で二番目に売れたピンク・フロイドの「狂気」がリリースされている。この四曲の関係は自分としてはものすごいものだと感じているしこの時代を生きたこの時代の音楽を聴いていた人と話して見たい。

他にも1973ではビリージョエルが「ピアノマン」、ローリングストーンズが「山羊の頭のスープ」と名盤が並んでいる。
僕は何気なく70年代が好きで聴いていて、最近はもっぱら洋楽でたまにフォークを聞くと言った感じなっていて、洋楽も詳しくなってきた。洋楽はやはり掘り下げやすい。なぜなら名盤と謳われるアルバムをほとんどのアーティストが持っているのだ。
話は戻るが70年代の名盤はかなり豪華だ。
70年にブラックサバスの「パラノイド」

71年にジョンレノンの「イマジン」やエリッククラプトンの「いとしのレイラ」、そして「Led Zepplin IV」がリリースされ

72年にジギースターダスト、

73年に先ほどのピアノマン」やストーンズの「山羊の頭のスープ」やピンク・フロイドの「狂気」さらにはエルトンジョンの「candle in the wind」などなど

74年はボブディランが名曲「Forever Young」やQueenが初のスマッシュヒット「Killer Queen」を飛ばし

75年にはボブマーリー達が「ライヴ!」で「Get Up Stand Up」などをリリースして再びクイーンが洋楽好きなら誰もが認める名盤「オペラ座の夜」を出して英国の誇りとなった

76年はAerosmithが名盤「Rocks」スティーヴィーワンダーが「キー・オブ・ライフ」をリリースしてファンを今でも虜にしているし、忘れちゃいけない「ホテルカルフォルニア」もここで出されているし

77年にもボストンがデビュー作とは思えない「幻想飛行」をリリースしてビリージョエルも「ストレンジャー」を、デヴィットボウイが「ヒーローズ」をまたまたQueenが何かと目にする「世界に捧ぐ」で「We Are The Champions」「We Will Rock You」で斬新すぎる曲を発表スティーリー・ダンが「Aja」を出したり日本でもさだまさしが「風見鶏」を出したりしている

78年でビリージョエルが世界初の商業用CD「ニューヨーク52番街」を出して再び名盤を作り日本でもサザンが「勝手にシンドバッド」でデビューしたり世良公則が「銃爪」でレコード大賞を受賞した

79年にはマイケルジャクソンが黒人音楽としての彼が本領発揮されている「Off The Wall」ポリスも「孤独のメッセージ」でイギリスナンバーワンヒットを記録

という感じですざまじい歴史となっています。どっかの雑誌には69年からえげつないhんかが訪れていると書いてありました。確かにその年はThe Whoが「Tommy」をリリースしたりLed Zeppelinが実験的なサウンドLed Zeppelin II」を販売したり色々ありましたね。まだあったらどこかの本屋で買いたいです。

番外編の方がやたらと熱が入っていますねw今日は休日なので初めてバスに乗ってぶらりしてみようかと思っていたんですがもう12時半なのでとりあえず昼ごはんを探しながら旅をしてきます!w