一年という月日〜友情編〜 (駄作

2018年の4月1日に僕は故郷である山梨を離れ東京の高校へと通うために引っ越してきた。
今日は3月29日。一年前の今頃はこの一年ブルーハーツ以来の心を動かすバンドである「bacho」を初めて知った時期になると思う。
残り少ない地元での生活のはずが大阪に行ってDTMをちょっと触っていた時に教えてもらったのが最初であった。

俺にとって一年という月日、一年は僕の人生の16分の1の時間であり俺は早いか短いかという問いに全く答えられない。

一年は変なやつだ、全て俺らとの付き合い方で俺らを変えてくる。365だか366だかはっきりしない野郎でなんの理由もないくせに我々生物の年齢を一つ繰り上げる。
「一年」と仲の良い「日々」や「時」は俺らと近い存在に生きているのに一年だけはなかなか姿を現さない。

つい昨日、一年にわずか届かない日々を東京で過ごした大切な友達が地元に帰ってしまった。
なかなかぶっ飛んだやつだったがクラスの中でも芸術肌な感性には定評があり、人がやらないことをやっていたせいで笑いを取れていたが、彼なりに膨大な苦労と悲しみを抱えて生きてきた。
彼と俺はおそらく一年間で最も一緒に過ごし、秘密を共有し、ある程度ぶつかり合い友情を確かめ合った完全に完成された「理解者」と呼ぶのももどかしいが俺にとっては信頼の塊のような存在であった。

しかし彼一人を特別な友達として見るのは僕にとってナンセンスである。
私はどんな人間に対しても永遠に友達であり続けたいと思い友達が本当に好きだ。

彼は地元までの道のりを青春18きっぷで帰ることになったので昨日最後に手を降りあった場所は何も変わらない代々木駅から出発した。
手を振った後彼の背中が逆行する人々の中にまるでもみ消されるように俺の視界から塞がれた。
全てがいつも通り、1分ほど立ち尽くし後ろを振り向いたら驚くほど変わらない街並み、かと思いきや360度どこを見渡しても見慣れた風景、何もない風景、何かないと決めるならあいつなんだろうが何も感じなかった。
特に理由はないが新宿駅まで歩くことにして俺は考えていた、明日から僕には僕の生活があり彼には彼の生活があり今日のことなんて忘れて明日にはお腹を抱えて笑える気がして、そんな自分がわからなくて「そのくらいがちょうどいい」なんて痰を出すのではなく心の底から湧き出るため息交じりの咳払いをしながら自分に言い聞かせていた。

その後部屋に入るまで何を考えていたのか、他に考えることがないのか自分に疑問を持つぐらいの時間を過ごしていた。

帰宅した後家を出発する前に練習していた尾崎豊の「卒業」の練習の続きをしたなんだか練習をやり切らないとこのブログや製作はおろか、食事や入浴なんかもしてはいけない気がしてまるで取り憑かれたようにピアノの前に座り20年以上前に作られた5本の線の上に描かれた記号を僕が音として放つのであった。

途中トイレに行った時、鏡を見たら別れた後に泣いたことを思い出した。
幾ら何でもキザ過ぎる表現と感じるかもしれないが大人ぶった高校生が正直に書いたものである。

お互いに自分のことを思われて泣かれた経験は初めてだとしばらくしてから確認しあった。

写真から壮大なドラマを感じ取れるだろうか?
俺は普通の写真と違って見える。
イメージ 1

俺はさよならは言わないし別れという言葉も使わない。友情の確認なんかもういいや、ただ俺は元気だからまたなんか話そうぜ。


今回のブログはうまく書けんかった。気持ちの整理をしよう、文章に起こすのは難しい、ただ継続をするために満足がいかなくても俺は書き続ける。