私の決意

この世界では自分という存在と、そうでない存在に分けることができる。
僕は今から、自分の世界で起こっていることを少しだけ、そうでない存在に届くことを願って言葉を紡ごうと思う。

これは、ナルシシズムの様な悪印象を伴う下らないものではなく、(だからといって確信を持って言えることでもないのですが)私は他人よりもほんの少しだけ”感じる”という能力が秀でているのではないか、と最近になって気付き始めました。

人が感じていないことを自分だけ感じるということ、それは孤独に近い恐ろしさがあり、必死に共感を求める為に言葉を使い、孤独や恐怖を修繕しようとするのですが、私には到底能力不足なので伝わらないことが、もどかしくて不機嫌になり、余計に空回りしてしまい、この感情を一人で抱え込むことが増えました。

きっと偉大な芸術家たちは皆、自分のみが感じる喜怒哀楽を思うがままに作品の世界へと落とし込むことが可能で(しかし私達がそのように感じるだけで彼らにはまだ完全に表現できていないのかもしれません)、同時に、こんな僕とは比べ物にならないくらいの苦しみに嘆き、恐れていたのであろう。

決して自らの感情を他人に押し付けることが美しいとは言えませんが、作品を通した場合、無条件で許されるのではないかと思うのです。

これらを踏まえた上で、私の世界で起こっていることを説明しましょう。

私には今、半月以上考えていることがあります。
少し気取った言い方をすると、解けない問いにぶつかりました。

これほどまでに難しい問いは、私の人生にとって初めてであり、今までの発見などすべてに繋がる気がして、本当に書きたいことが書けないうえ、一つたりとも書き落としたくないので書き始めたとしても没にしてしまい、普段の生活でも常に考え、学業も少し滞ったりしています。

しかし、これが解けたからと言っても何が起こるわけではないし、ましてや解くために使う時間がもったいないのかもしれないとまでも思っていました。
しかし、どうやら完成させるべきなようです。

よって、私は何回に分けてでも満足するまで描き続けます。

とにかく書くことをやめなければ自分の中で表現することについての能力が少し身につき、成長につながるはずだという確信が私の経験上あるからです。

書き続けることにより、普段の生活の生産性も少し上ると考えています。(私の恩師がそのようにおっしゃてくださいました)

以上を踏まえ、みなさんは、読んだ上で伝わったもの以上の感情が詰まっていると思ってください。